■ 大塩英生
風の子シリーズについて
「風の子」は日本で古くから子供達に愛され、楽しまれている「やじろべえ」という玩具を下に作られた彫刻です。
「やじろべえ」はとても優れた玩具です。力学的に見ても理にかない、美術的に見てもとても美しく、楽しい動く玩具です。
彫刻は手で触って、形を感じる事ができる芸術です。ということは彫刻は目が見えない人にも理解してもらえる造形芸術だということです。しかし触り方にもそれなりの触り方があります。手の指先に神経を集中してそっと触れ感じて下さい。
また、この作品は風を受けクルクルと回ります。風は水平に吹くだけではありません。様々な方向から吹いて来ます。風に上下の向きが加わると大きくゆらゆらと揺れます。不思議な事に大きく揺れて倒れそうになっても自分で立ち直ることができます。それは風を受け支点を中心に動く上部と、それを支えている土台の関係にあるのです。土台はどっしりと動く部分はどのような形でも良いのですが、左右の部分の重心が支点より低い位置にある事が大切です。この作品の場合、重心は支点より僅か少しだけ下に位置しています。しかもその重心は作品から離れた空間に位置しています。この事が動きを大きくする要素となっています。
また、左右の重さが垂れ下がろうという力を生み、糸を引っ張りあって緊張ある直線を形作っています。台座から離れると糸はゆるんでだらりとして形を失ってしまいます。
私は、風は世の中の出来事に似ていると思っています。身の回りには激しく厳しい出来事があれば、また優しく穏やかな出来事もあります。それはあたかも風の様です。「風の子」は風を身に受け、大きく、小さく、激しくまた緩やかに支点を中心に危うく見えても安定して、土台の上で動くのです。
[略歴] (2007,10現在)
横須賀市出身、東京学芸大学美術専攻科卒業
1971- 2006 桐朋学園 中・高等学校教諭
アフガニスタン、イラン、パキスタン、イギリス・ドイツ美術研修
2003より基礎造形学会会長
2007 ドイツ/カッセルドクメンタ・ミュンスター彫刻プロジェクト研修
[出品略歴]
1968-76 モダンアート展・行動美術展・日本アンデパンダン展・第一美術展
1969・70 現代国際彫刻展、現代美術野外フェスティバル (箱根 彫刻の森)
1979-87 神奈川県展
1984・89 多摩の作家・250人展 (立川 多摩信・G)
1985-89 2人展(奥山雄輔氏) (青山 G・和田)
1990-97 グループ展 (青山 G・和田)
1992-02 WILL50人展 (立川 ルミネ)
1994 国立の自然を愛する作家100人展 (国立 G・イグレック)
1995-07 多摩現代美術家会議(TAC)参加 (三鷹 三鷹市民・G、他)
1997 くにたち美術展 (国立 国立郷土館)
2000-07 「かたち・ふれあい」展 (日野 実践女子短期大学)
2001 オカリナコンサート (立川 フォレストイン昭和館)
2001-07 アート in はむら (羽村 郷土資料館館)
2001-05 彫刻造形展 ひの (日野 日野文化会館)
2001・04 JAPAN KOREA EXHIBITION
(大崎 0美術館、銀座 02 新井・G)
2002-07 TAC「接近」展 (府中市美術館 国立芸小ホール他)
2003 日野アートフェスティバル (日野 日野文化会館)
2003 富山市芸術創造センター祭 (富山 富山芸術創造センター)
2003 桐朋学園オーケストラ・アカデミー (富山 桐朋学園大学院大学)
2004 日本・スペイン2×2展 (国立 G・街角)
2004 学校美術館展 (羽村 松林小学校)
2004 「私にとっての日本」それぞれの表現「根」 (銀座 アサヒアート・G)
2004-07 「素」展 (立川 多摩信・G/新紀元)
2006-07 GREEN ART EXHIBITION (立川 国立昭和記念公園)
2007 アートストリーム・酒蔵 (小鹿野 両神村)
■ 大塩桃丘
静かな秩序シリーズについて
物質と精神の奥に開けている霊性という意識によって、自然から見えてくるものを表現する。霊性が感性と情性の上に働く直覚を、仏教で"大円鏡智"と言い表される。静かな秩序シリーズによって表出しようとしてきたものは、まさに、"大円鏡智"の世界であると気づいたのである。このイメージ世界は、自然に感じているうちに向こうから見えてくるものである。
ものの哀れや、ロマンチシズムによって至ることの無い世界、感性や情性の骨に感じ至ること、物質の移り変わりや、精神の高さ深さも突き抜けて、天から地からのイメージを表現したい。静かな秩序を、画面の中に納めたいと思う。
絶対的な自分を通しての直覚からくるものを表現することに意味を感じている。自分を通して自分を捨てる、あるいは放り投げるように。円は、宇宙と一人の心の内が共鳴する形。
色でなく金という光によって表したい世界。
光(金色)による表現は、現実に、見える世界を超えた宇宙的な、又宗教的な世界を暗示するものと思われる。金を使ったのは、人間の感情表現に留まるのではなく、意識が深遠な働きに至ることによって、もっと深い喜びを表現したいためである。
私は数学をよく知らないが、数学の喜びとはこのようなものではないかと、ふと思うことがある。創造の可能性は無限と思われるが、その根底となる美の基準、抑制やバランスなどは、調和の意識から見ると、色や形の量や位置や運動が決まっているように思われるのである。見てくださる方と、歓びを共有できれば嬉しいことである。
作品は、見る方と共鳴でき、その上、もし今すぐにもご自身の仕事をするために仕事場に帰りたい、、、と思われるとしたら、こんな光栄なことはないのである。
作品は、そういう魂に向けて捧げるものであり、又同時に宇宙の源への捧げものであると思われる。
[略歴] (2007,10現在)
浜松市出身、東京学芸大学・日本画研究科研修生修了
北京中央美術学院短期留学「書と水墨画」を研修
ドイツ、スイスのギムナジウム、アカデミーにて美術教育研修
バウハウスの構成法を学ぶ
臨済禅僧、鈴木清洲師に師事、「書」と「禅の意識」を学ぶ
「抽象表現としての日本画」を研修、芸術学士
2007 ドイツ/カッセルドクメンタ・ミュンスター彫刻プロジェクト研修
1976より 美術教室「アトリエ空の窓」主宰
[出品略歴]
1992-95 グループ展
1994 多摩美術大賞「4本の水平線」奨励賞 (小平 ルネ小平)
1995・97 多摩秀作美術展 (青梅 青梅美術館)
1995-07 日本画と彫刻の二人展
(浜松 遠鉄アートシアターロゼ、国立 G・岳、G・コロン)
1997 多摩うるおい美術展「音の鏡」 (多摩 パルテノン多摩)
1997 空の窓の仲間たち (国立 コート・G)
1999-01 TAC・ART・2000プロジェクト (三鷹 三鷹市芸術文化センター)
1999 秋の色-森との共生 (八王子 高尾森林科学園)
1999-03 NAW21世紀連立展 (上野 都立美術館)
1999 日本画展「内的視覚と日本画表現」 (国立 G・岳)
2001 眼展 (銀座 アサヒアート・G)
2002 JAPAN KOREA EXHIBITION (大崎 O美術館)
2002 NAWのNAW展 (銀座 地球堂・G)
2002 日本画と彫刻の二人展 (青梅 青梅市サクラファクトリー)
2002-07 TAC「接近」展 (府中市美術館 国立芸小ホール他)
2002 富山市芸術創造センター祭 (富山 富山芸術創造センター)
2003 桐朋学園オーケストラ・アカデミー (富山 桐朋学園大学院大学)
2003-07 「日本画を世界に」 (銀座 地球堂・G)
2003-07 アート in はむら (羽村 郷土資料館)
2004 日本画と彫刻の二人展 (国立 G・アルケミスト、G・街角)
2004 学校美術館展 (羽村 松林小学校)
2004 日韓現代美術展 (大崎 0美術館)
2005 日本・スペイン2×2展 (国立 G・街角)
2005 日本画と彫刻の二人展 (銀座 地球堂・G)
2005 日仏現代美術展 (大森 ベルポート・アトリウム)
2005 現代美術アート・フェア「リニアート」 (ベルギー ハゲント)
2007 ゆとろぎ美術館展 (羽村 ゆとろぎ美術館)
■ 平松輝子
テーマは「ギリシャ遺跡」
1995年、ハイデルベルガークンストフェアラインで発表展示された作品群14枚のうちの9枚である。ドイツでも好評であり、新聞(ライン・ネッカー・ツァイトゥング)にも取り上げられた。高さは2.7mくらいであるが、ギリシャの遺跡を訪ねた後、制作し今回掛け軸仕様にしたものである。
巨大な絵の中を歩くということで、古代の神々がいたギリシャ遺跡の荘厳なイメージを表現した。作者コメント「神殿をめぐり歩いた時の私は、小さな個の自分ではなく、自分の真の姿に還っている時の自分であった。だからこの空間はどんな時にも、あの時の神殿の雰囲気に私をすっぽり包んでくれる。やさしく、ふんわりと、古代のかおりのなかに」
[経歴] 一部
1921 東京生まれ
1949−56 坂田一男(レジェの助手)に師事、A・G・O同人
1954・63・64 個展、タケミヤ画廊・サトウ画廊・日本橋画廊
1965・66 ニューヨーク個展 AMサックスギャラリー(ニューヨーク)
ロスアンゼルス個展 ギャラリー66(ロスアンゼルス)
1967 国際青年美術家展、受賞(池袋西武)
1968 現代日本美術展(スタンフォード美術館・グリニッチ美術館)
1971 2人展《大自然と人間》ピナール画廊(東京)
1972−82 ドイツ クレフェルド
1974 国際現代美術見本市(デュッセルドルフ)
デュッセルドルフ美術館NRW州展(デュッセルドルフ)
1975 個展、カイザーウィルヘルム美術館(クレフェルド)
個展、ケルン日本文化会館(ケルン)
1977 個展、コンスタンツ美術館(コンスタンツ)
1978 個展、ハイデルベルグ美術館(ハイデルベルグ)
1979 個展、日本大使館後援、西ドイツ政府主催庭園ショー、(ボン)
1980 個展 日本総領事館後援 ミュンヘン民族博物館(ミュンヘン)
1983 個展、ウェアハウスギャラリー・ギャラリー上田(東京)
1987 個展、デュッセルドルフ州立美術館(デュッセルドルフ)
1987・88・89 墨展(現代中国芸術センター、大阪)
1995 個展、ハイデルベルグ美術館(ハイデルベルグ)
1999 東京国立市に宇フォーラムKV21美術館創立
若い美術家の支援のため企画展を開催
■ 二紀和太留
テーマ「平和」
「二紀和太留の本名は平松和太留であるが、略すると平和である。この美術館の開設の契機として戦争と平和がある。二紀は1921年に熊本で生まれ,1943年に海軍に入隊し、戦艦榛名に乗船しマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦しながら奇跡的に生還した。
しかし、これらの戦いで多くの戦友が亡くなった。そして戦後、彼らのことを一生、気にかけながら作品を描いた。作品に表れる輝くような光は彼等にたいする鎮魂の意味がある。
この美術館では奥の展示室に巾4mの作品「天の光マンダラ」を常設展示しているが、この部屋に入ると、「異次元に来たようだ」と多くの方が言われる。来館者の感想文の一つを紹介する。
「この平和な時代の陰に多くの方々の貴い命が失われていった事を思うと、いつも、いつも、8月15日に深い反省の念を思い起こします。戦争を知らない世代と残り少なくなった戦争経験世代と、もっといつまでも話をして、二度と繰返さない努力をしていかなければならないと思います」
[経歴]一部
1921 熊本県荒尾市生まれ
1942〜45 熊本師範学校(熊本大学)卒。海軍に入隊。
1945〜51 熊本県展、独立美術協会奨励賞、K氏賞
熊日新聞社賞、大牟田美術展くろだいや賞、武蔵野美術大学中退
1952〜56 坂田一男師事。第2〜4回A・G・O展参加
1962〜63 個展 村松画廊、新宿第一画廊(東京)
1966〜70 渡米 第25回ナショナル美術展・ジャージーシティミュージアム入賞
個展 カプリコーンギャラリー・スタジオ90、
ビューイング・ホイットニーミュージアム オブアメリカンアート
(ニューヨーク)
アートフェスティバル、コンテンポラリーアジアンアーチスト展、
アートレンディング・ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、
1972〜73 ピナールギャラリー(東京)、スタジオ10(ニューヨーク)
個展 ケルナークンストキャビネット(ケルン)
コンテンポラリードイツアート(クレフェルド)
個展 ギャラリーナーグル(ウィーン)
個展 日本文化センター(ケルン)、
インターナショナルコンテンポラリーアート展(デュッセルドルフ)
1975〜76 NWF州立ウィンター展(デュッセルドルフ美術館)
個展 ジャパンクラブ(デュッセルドルフ)
個展 紀伊国屋ギャラリー(東京)
個展 アートサロン三番館(東京)
ジャパンナウ(サンフランシスコ)、東京都立美術館、
1977〜79 個展 多摩信ギャラリー(東京)、個展 神奈川県立ギャラリー(横浜)
個展 姫路ギャラリー(東京)、 個展 熊日ギャラリー(熊本)
個展 アルゲンチュームギャラリー(クレフェルド)
1980〜81 個展 長崎県立美術館(長崎)、個展 荒尾市社会教育総合センター(熊本)
個展 独日交流ソサエティー(デュッセルドルフ)
1983 個展 紀伊国屋ギャラリー、個展 ギャラリー岳(東京)
1985〜86 ギャラリープラン(西独)、埼玉県立近代美術館(埼玉)、
個展 青梅市立美術館(東京)
1991 個展 ストライプハウス美術館(東京)
1997 死去
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